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「ここの方が生きやすい感じ」
マタタビ細工の技を受け継ぐ菅家豊さん

昭和村って、求めていたものに出会い、夢を叶えていく人たちがたくさんいるんです。菅家豊さんもその一人。高齢化のため、作る人が減る一方のマタタビ細工の後継者として、自らの技に磨きをかけながら、多くの人たちに興味を持ってもらえるように、SNSで発信したり、遠方に赴いてワークショップをしたり。
豊さんにマタタビ細工や村への想いをお聞きしました。

マタタビ細工のホープ 菅家豊さん
1982年生まれ。会津若松市出身。2012年に昭和村に移住。村の農業法人「グリーンファーム」の社員として農作業に励みながら、マタタビ細工をライフワークとし、活躍の場を広げている。

結婚は墓場? 意外とそうでもない

――豊さんはどちらの出身でいつ昭和村へ?

豊さん

生まれも育ちも会津若松市で、2012年に昭和村に来ました。

――婿入りされたそうですね。

豊さん

妻と20歳ぐらいで知り合って10年後に結婚しました。もっと早く結婚してもよかったんですけど、急がなかったんですねえ。
お互い若かったんで、まだ遊びたいなあっていうのもあったし、周りの人にも「結婚は墓場。結婚したら遊べないし、好きなこと何もできない」と言われていましたから。
そうしたら意外とそうでもない(笑)。自分たちは結婚してさらに良くなった。今は小学校1年生の娘と妻の父親との4人暮らしです。

――仕事はどんなことを?

豊さん

グリーンファームっていう昭和村の農業法人で、田植え、草刈り、除草、稲刈り、冬は除雪です。優しい人ばかりで雰囲気のいい会社なので過ごしやすいですね。

(撮影:須田雅子)

(撮影:須田雅子)

――冬の除雪は夜中の勤務ですよね。

豊さん

午前3時ぐらいから除雪して、家に帰るのは朝9時前ぐらいかな。午前中眠いんで寝るんです。お昼ご飯食べて、午後、仕事がなかったら、家でマタタビのことをやっていますね。

――冬は雪が少ないとマタタビ細工をやる時間が増えるんですね。

豊さん

そうですね。それも自宅待機だからこそできることなので、会社には感謝しかないです。通年雇用なので社会保険とか厚生年金もあるし、すごく助かっています。
妻も伝統工芸が好きで応援してくれるし、共働きだから生活の不安はないし、恵まれました。感謝ですね。

マタタビ細工の職人になる

――マタタビ細工の師匠の佐藤平喜(へいき)さんは、最初どんな印象でした?

豊さん

平喜さん、家が近いんですけど、あんまりしゃべらない人だし、最初はちょっと怖い印象でした。
ザル作りとか編み細工をやっているのは何年かして知ったんです。織姫さんとか村の人にも教えていましたしね。
実際、話してみると印象は変わって、職人だから芯があるという感じですね。

在りし日の佐藤平喜さん

(撮影:道先潤さん)

――いつ頃から習い始めたんですか?

豊さん

7年くらい前の2017年11月です。平喜さんはその2年後くらいに亡くなって。

――私も平喜さんとは一度挨拶したきりになってしまったから本当に残念で。以前、夏のフェアで買った平喜さんお手製のかんじきが、大雪のこの冬も大活躍です。

豊さん

平喜さんから最初、竹かんじき習ったんですよ。あと、マタタビ作りの道具を作れって言われて。マタタビ採る時期はもう過ぎていたんで。

豊さん

この道具の一番下は平喜さんが作ったもので、上の二つはそれを真似て、自分が作ったものです。丸くカーブした部分でマタタビの皮を剥きます。それから四角い所で同じ幅に揃えるんです。

――そういう道具作りなんて、やったことあったんですか?

豊さん

ないですねえ。まあ、難しいですよ。サンダーとヤスリで削って作るんです。
平喜さんほどきれいじゃないけど一応できたんです。それで次の年11月頃に一緒にマタタビ採りに行って。
山の木の葉っぱが落ちて、雪が降る前が一番いいですね。

自分で作った道具で、約4ミリ幅のマタタビのヒゴを作る

(撮影:須田雅子)

――平喜さんはどんなふうに教えてくれましたか?

豊さん

もう何時間も一緒にいて隣でやりながら付きっ切りで。分からないときは教えてもらったりして。最初に作ったザルを平喜さんに見せたら、「ここは駄目だ。ここまで戻った方がいい」ってほどかれちゃって。
平喜さんは決して褒めはしないです。「まあ、よかべえ」ぐらい。その「よかべえ」の一言が嬉しかったです。

(撮影:須田雅子)

豊さん

米とぎザルって、最初に底の網代編みの部分を作って、それからだんだん丸くしていくんですけど、その立ち上がりの段階が一番難しい。「七まわり」って言って、7周する間にヒゴを曲げて丸くしていくんです。それが難しいから、やってはほどいてやり直し。

――やり直しができるんですね。

豊さん

できます。なので全然進みません(笑)。がっかりしますよ~。何時間もかかってやったのに何回もやり直して。とにかく何度もやって勘所つかまないとうまくいかないんですよねえ。材料も自分で採った分しかなくて貴重なんで。
変な形のザルばかりあっても使わないし、売ることもできないし。だからダメだったらやっぱりほどいてやり直した方がいいんです。

豊さんが作った米とぎザル

(撮影:菅家豊さん)

豊さんが作った蕎麦ザル。枝豆にもいいですね。

(撮影:菅家豊さん)

――豊さんのインスタやFacebookをフォローしていますけど、ザルの網目が本当に美しい。編んでいるときってどんな気持ちですか?

豊さん

編んでいて楽しいですね。きれいなのができたときは、自分の腕が上がっているって実感できるし。なんなら、きれいじゃなくても好きなんですよね。ヒゴのひねくれ具合とか、木の曲がり具合とか、ちょっと形が歪んでいるのも味があって、手仕事っていう感じがしてねえ。世界にひとつって感じがするじゃないですか(笑)。どういうのができても全部がいいなと思えます。

――元織姫さんとのコラボ作品もすごく素敵だなあと思って。

麻の古布とからむしの紐がよく合う
「淡々艸々」とのコラボ作品。

(撮影:菅家豊さん)

豊さん

あれは「淡々艸々(たんたんそうそう)」の水野江梨さんにお願いしたんです。水野さんのインスタの写真がすごくおしゃれなんですよ。あのセンスの良さを取り入れられればと思って。

「くさといとなむ くさのいとなみ 淡々艸々」
https://www.instagram.com/93110tantansoso/.

――ザルの注文はどんな所から来るんですか?

豊さん

北海道や東京、京都などの小売店です。平喜さんがザルを卸していたお店ともお付き合いしているんです。ワークショップもやらせていただきました。平喜さんの思い出話とかもしてくれて。そういうの、いいですよね。
インスタを見た人からも注文いただきます。注文が多いのは、米とぎザルと蕎麦ザルです。

――YouTubeでは、マタタビザルの作り方を動画で紹介していますね。私の甥っ子(中1)が夏休みに昭和村に来て、豊さんに六ツ目ザルの作り方を教わったときは、前の晩に動画で予習をしてから臨みました。あれだけ丁寧な動画を作るんだから大変でしょう。

(YouTubeチャンネル)
菅家豊マタタビ【ザルを作っている人】
https://www.youtube.com/watch?v=HDOOSyLgG1E

豊さん

編集だなんだと時間かかりますねえ。
マタタビ細工って全国的にはあまり知られていないんですよね。喰丸小とかで実演やっていても、9割の人はマタタビを知らなくて、「これ竹ですか?」って。発信も楽しんでやっています。

喰丸小での実演の様子。
「お客さんの話を聞いたりするのも楽しい」と豊さん。

(撮影:須田雅子)

――作って発信して教えて…。時間がない中でマタタビザルのこと、よく頑張ってますね。

豊さん

大変ですよ。すべて犠牲にしてますから。なんでやってんだろう?って思います。
それで考えたんですけど、平喜さんにマタタビ習って、で、平喜さんに俺、褒められてないんですね。褒められないまま、平喜さん亡くなられたんです。職人として成長した姿を見せたかったし、恩返ししたいけど、平喜さんはもういないわけで。
そうすると、平喜さんに気持ちを届けるには、平喜さんの奥さんの郁さんを通じてしかないんですよね。郁さんに褒めてもらいたいなあって。自分のおばあちゃんのような感覚です。それが頑張ってマタタビやってる第一の理由だなあ。

郁さんのお宅でお茶飲みのひととき。
「豊君、安否確認にいっつも顔を出してくれんの。よーく、こーだ婆さまの所、来てくれるわあって言ったらば、婆さまだから来(き)られんだと~(笑)」と郁さん。                                   (撮影:須田雅子)

三方よし!のライフワーク

――マタタビ細工のどんなところに面白みを感じますか?

豊さん

やっぱり満足いかないところですよね。平喜さんもずっと言ってたんです。80年もやってきて名人と言われるような人間が、まだ満足するものができないと。自分もおそらく死ぬまで満足しないことになるでしょう。

――すごいものに出会ってしまいましたね!

豊さん

ライフワークですよねえ。

――昭和村に来て、近所に平喜さんがいて…。間に合ってよかったですね。

豊さん

よかったです。もっと早く結婚すればよかった。来て5年は遊んでいたわけだし。5年早く習っていたらとも思う。今更ですけど。

(撮影:須田雅子)

――村の人も、豊さんはマタタビ細工のホープだって言っていましたよ。

豊さん

昭和村に来たときから、村の人たちにすごく良くしてもらっているんですけど、マタタビ細工をやり始めてから、村の人みんなに「よかった、よかった」って言ってもらえて、自分のことのように喜んでくれるんです。それがこっちも嬉しいし、もっと続けていきたくなる。
自分はマタタビザル作って買ってもらえて嬉しいし、買う人は買えて嬉しい。周りの評判もいい。三方よしです。将来的には、マタタビ細工を本業にしたいと思っています。
ずっとやっていけることですからね。

――豊さんにとっての昭和村は?

豊さん

もう10年以上いるんですけど、わりと好きなんですよね。マタタビ細工やって褒められるし、必要とされている感じもある。村に愛着が湧いています(笑)。なので、他に行こうとも思わないし。なんだろうなあ。他に行くより、ここの方が生きやすい感じですね。

豊さんのオススメ昭和村スポット

博士峠旧道の昭和村側入り口付近

(撮影:酒井順正さん)

昭和村から博士峠に向かうとき、博士トンネルが開通する前には「水芭蕉としらかばの杜」を過ぎた少し先にある樹々の緑のトンネルに心が洗われるような気持ちになったもの。博士トンネルが出来てからは通ることがなくなった博士峠旧道の昭和村側。

豊さん

広葉樹のなんていうのかなあ。春先とか紅葉のときにすごくきれいなんです。マイナーだけど写真を撮る人には知られているスポットだと思います。

菅家豊さん

ホームページ https://matatabizaru.amebaownd.com/

【聞き手】須田雅子(昭和村宣伝部員)
直感に導かれ、2015年秋に東京から昭和村に移住。村の暮らしを日々満喫している。
著書に『奥会津昭和村 百年の昔語り 青木梅之助さんの聞き書きより』(歴史春秋社 2021)。

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